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2012-06

愛のない生活はあっても水のない生活はない??

東日本大震災以来、「飲み水」に対する関心が深まってきました。WHO基準では、世界193ヶ国のうちわずか11ヶ国しか水道水を飲める国はないのだそうです。東京の水は小河内ダムから浄水場に入ってきた水を5段階に分けて濾過し、最後は塩素ではなくオゾンで濾過するので、世界最高の水が蛇口をひねれば出てくるというからすごい!

海外を旅行すれば分かりますが、蛇口をひねれば当たり前のように飲める水が出てくる国は、ほとんどありません。私たちは当たり前のように毎日水を使っていますが、私の国が特別なんだ!ということを再認識して、節電と共に節水も忘れてはならないと思います。

老子が理想の生き方として挙げているのが、「水」のような生き方です。

 「世界中で水よりも柔らかで弱々しいものはありません。しかし、時として岩石を砕くなど、堅く強いものを崩壊させることになると、水に勝るものはありません。水の性質を変えるほどの力を持つものは他に存在しないからです」

  「水は万物の生育を常に助けているけれど、決して争うことがなく、しかも人々がさげすむ低いところにとどまっている」

「水」のような柔軟な心をもって、あらゆる現実に自然に対応していく力、いかなる状況にも揺るがない本当の強さが人生を豊かに生きる秘訣だそうです。

あるイギリスの詩人が「愛のない生活はあっても水のない生活はない」と言っています。う~ん、まさにその通り?

胸に染み入るこの言葉を実感しつつ(?)猛暑が始まるこれかの夏に向かって今日から、節電だけでなく、節水にも精を出す私です。

ピアノを教えるって…?!

私は長年ピアノを教えるということに携わってきました。音楽の専門に進む方、幼稚園の先生などピアノが必要とする方、専門ではないけれどピアノを楽しんで弾いている方、実に様々です。多くの生徒さんと接してきましたが、音楽の専門的な道に進もうと、進まなくても基本的な教え方は変わらないし、最終的には一人で楽譜を正しく読んで、自分が弾きたい曲が弾けるようになり、日々の生活の中で音楽が楽しめたられたらと思っています。

そのために指の訓練や楽譜の読み方、音の感じ方、表現、楽典、ソルフェージュは必要な要素だと思っています。短いレッスン時間の中で、それらのことを全部やらなければならないのは大変ですが、ピアノを教えている限りは、それらは当たり前のことだと思っていました。

2年前にピアノを習いに来たTちゃん、すでに他の教室で2年くらいピアノを習っていました。体験レッスンでどのくらい弾けるのかなぁ~と弾いてもらうことにしました。

あれれれれ~、なんと彼女の楽譜には音符一つ一つに全部カナがふってあるではありませんか?!初対面の子どもに悪いと思いながらも「楽譜にカナをふったら、いつまでたっても音符が読めないよ。自分で音符を読むようにしようね!」

「これって私がふったんじゃないよ。先生が書いたんだよ!」との返答にえっっっ~!?

ちなみにカナを隠して音符だけ読んでもらうと、彼女は易しいドレミ~くらいは読めたものの、他の音符は読めませんでした。ピアノは好きなようで一生懸命弾いているのに…。さらに指使い、音符、休符の長さはいい加減、強弱記号も無視?ほとんど、好き勝手に音符の羅列で弾いていました。

さらに驚いたのは間違った音で弾いていたので、違っていることを指摘すると、なんと音符にふったカナが違っていたのです。

教室を代わられた理由は「もっと上手になりたい!」とのことでした。

上手になることはもちろんですが、まずはきちんと弾くこと、楽譜に書いてあることをひとつも見過ごさず、正確に弾く、音符は正しく読む、という当たり前のことから始めなければならないと思いました。

最初のうちTちゃんは音符を読むことに苦労し、正確に弾くということに戸惑い、泣いていることもありました。でも、私はここで妥協したら、また、Tちゃんは同じことを繰り返してしまう、本当のピアノの楽しさを分かって欲しいと思い、辛抱強く言い続けました。まさに私は鬼?コンチクショウ?!

その頑張りがあって今ではTちゃんは、正しく楽譜を読めるようになりました。そして、もちろんピアノを楽しんでいます。

ここの教室には、時々他の教室から代られてくる子どもさんがいますが、前述したような「えっ~!」と思う弾き方を習ってくる子どもがいます。子どもは悪くないすよ。でも、こんな教え方で月謝をとっているピアノの先生には腹が立ちますね

私は特に何かしているわけではなく、当たり前の基本的なことを教えているだけです。ピアノを教えるってどういうことなのかしら?音楽を楽しむってどういうことかしら?自分自身を見つめるにもよい機会です。

 

 

尊敬する人

皆さんは誰を一番尊敬していますか。今から十数年前に世界二十か国の中学生を対象に尊敬する人に関するアンケートを実施しました。

「先生を尊敬していますか」という質問に「尊敬している」と答えたのが中国の北京で80.3%、アメリカは82.2%、EU12か国の平均は82.7%、韓国はトップの84.9%でした。
我が日本はということ21%‥‥50%切ったら国家として危ないといわれていますが、はるかに下回っての最下位でした。先生の尊敬度の世界186か国の平均は72.3%です。
「親を尊敬していますか」は、他国は80%以上あるのに対して日本は25.2%しかありませんでした。

一体これってどういうこと?

私が一番尊敬しているのは、両親です。父は十年前に亡くなりましたが、今でも一番大好きで一番尊敬しています。そして、次は自分に教えてくれる人、いわゆる先生です。英会話を習っている時は英語の先生、茶道を習っているときは茶道の先生、今はテニスを教えてくれるSコーチです。

私は今まで色々なことを習ってきましたが、お金を払っているんだから教えてくれて当然!なんて思ったことはありません。自分が出来ないことを教えてくれるのだから尊敬の念とそして、その人を好きになることが一番の上達ではないかと思います。

「ピアノの先生は大嫌い!でも、あの先生に習うとピアノは上達するから習っている」なんていうのは嫌だなあ~。先生も大好き、ピアノも上手くなる!なんていうのが最高かもしれないけど、なかなか難しい。一所懸命ピアノを教えて、生徒さんが上達しても「先生は厳しいから嫌~い!」なんて言われるかもしれないし、生徒さんに好かれようと、気遣いばかりで本来の教える厳しさを忘れたら、先生としては失格だ~!

こんなことを言ったら、非難されるかもしれないけど、私は生徒さんをお客さんだと思ったことがありません。大手の音楽教室は「生徒様はお客さん~」と講師に教育しているって聞くけど、師弟関係って厳しく、それこそ尊敬の念がなければならないし、お客さんと思うとサービス業になってしまい、言いなりになりかねない。教育はサービス業ではないと思います。

最近、「え~!」って思える親御さんを見かけますが、日本が世界中で親も先生も尊敬することが一番最低の国になってしまった原因は何かを考えることが大事だと思う今日この頃です。

 

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